元禄16年(1703年)から明治2年(1869年)まで、秋田藩の番所が置かれた。
藩内外への禁制品(刀、兵具、馬牛、米、豆類、材木、油類、鉄、銅、鉛、皮類、棉、麻糸、塩、たばこ等)の取り締まり、通行人の吟味、出入りする物品からの税金の徴収、八沢木村の狩猟の取り締まりなどを行った。
現在、番所跡に置かれている切石は、保呂羽山に寄進された御神燈と唐獅子の台座で、残念ながら八沢木番所に関わる切石ではない。
元禄16年(1703年)から明治2年(1869年)まで、秋田藩の番所が置かれた。
藩内外への禁制品(刀、兵具、馬牛、米、豆類、材木、油類、鉄、銅、鉛、皮類、棉、麻糸、塩、たばこ等)の取り締まり、通行人の吟味、出入りする物品からの税金の徴収、八沢木村の狩猟の取り締まりなどを行った。
現在、番所跡に置かれている切石は、保呂羽山に寄進された御神燈と唐獅子の台座で、残念ながら八沢木番所に関わる切石ではない。