保呂羽地区史跡めぐり
保呂羽山
標高438mの保呂羽山はかつて女人禁制の山でした。頂上には、奈良時代創建の「波宇志別神社」が建っています。県内屈指の古社で、中世は修験道の霊地として信仰されていました。昭和32年に鎮座1200年祭を執り行っています。新緑の春から晩秋まで、自然豊かな森の中を歩いて、軽登山が楽しめます。
歴史紹介
奈良時代 | ||
天平宝字 元年 | 757年 | 保呂羽山天国寺が開かれた。 |
平安時代 | ||
久安5年 | 1149年 | 観音寺の古い塚から出た経筒に久安五年とある。 |
室町時代 | ||
応永元年 | 1394年 | 上八沢木の銀杏の木台に曹渓寺が建てられたと言われる。 |
室町時代 | (中期) | 波宇志別神社「神楽殿」が建てられたと言われる。 |
文明年中 | 1469~1487年 | 小野寺道高が大森城(岩淵城)を築く。 |
安土・桃山時代 | ||
天正18年 | 1590年 | 上杉景勝が大森城に来て、平鹿・仙北の検地を行った。 |
慶長5年 | 1600年 | 大森城、最上・由利連合軍に包囲され、籠城して応戦。城主小野寺康道(大森五郎)、和議を申し出る。 |
江戸時代 | ||
慶長6年 | 1601年 | 大森城主小野寺康道、石見国(島根県)津和野へ流罪となる。 |
元和8年 | 1622年 | 横手大眼宗事件という新興宗教一揆があった。伊達左門はその不始末を問われ改易された。 |
寛文4年 | 1664年 | 佐竹山城主義寛、山城堰(五ケ村堰)の工事に着手。 |
延宝4年 | 1676年 | 山城堰が12年間に及ぶ大工事の末、完了した。 |
元禄16年 | 1703年 | 八沢木番所が前田に置かれた。 |
寛保3年 | 1743年 | 八沢木村本木の伊勢講6人、4月から3ヵ月伊勢参りをした。 |
享和元年 | 1801年 | 大友親久(木ノ根坂)が伊勢松坂の本居宣長に入門する。 |
享和2年 | 1802年 | 親久の甥、大友直枝が伊勢松坂の本居家に入門する。 |
文化10年 | 1813年 | 保呂羽山の藩境(秋田藩と亀田藩)に「盛塚」を築いた。 |
文政7年 | 1824年 | 菅江真澄が木ノ根坂の大友家で「雪の出羽路八沢木の部」を記述する。 |
嘉永6年 | 1853年 | 守屋家の火災で、保呂羽山参詣客百余名が焼死した。 |